好きな歌

水樹奈々の持ち歌における唯一の萌え歌。
一曲選べと問われれば、これ以外ありえない。

    • ジュリエット

本当にファンが望んでいるのは、こういう曲だと思う。
なんら意味も内容無く、空虚でお寒い詞、陳腐で古臭く、センスの欠片も無い曲が水樹奈々に提供され続けている事実。
それらが水樹奈々の歌唱力を不当な評価に晒す結果となるなら、それはあまりに悲しい事だ。
その点、菅野よう子坂本真綾梶浦由記千葉紗子のような例は恵まれていると言えます。ただし、優秀なプロデューサーと活動を始めれば、そのプロデューサー表現を支える道具の一つに過ぎない、という評価を受けてしまう可能性も生じます。
しかし、寧ろそこでこそ歌い手、歌手としての存在と真価が問われると僕は見るのですが。

2003年9月13日、14日、草月ホールで聞きました。
僕はこのために生きていた。
生きてて良かった。

この完成度、安定感。
消費されるだけの音楽とは、余りに一線を画した楽曲が堪らなく愛しい。


正直言ってしまうと、坂本真綾の生歌はあまり好きでは無い。
声量、声の伸び、表現力、情感、全てにおいて、CDに収録された音を期待すれば裏切られる。
部屋のスピーカーでもイヤホンでもヘッドホンでもなんでもいい。
坂本真綾の歌を聞けば胸が震える。心が震える。涙が溢れる。


それなのに、である。


そんなに激しい曲も歌も無い。跳ぶ?叫ぶ?冗談じゃない。
また、「それなりに」乗っては来るが、とても熱狂とは言えないファンの動きが拍車をかける。
目の前で歌っている姿が見えても、音が耳に入っても上の空。
心は他の事を考え始める。
歌声は僕に届く事は無い。


そう、興味の無い歌を聴いているときと一緒だ。
結局、ライブにはあまり行く価値は無いのではとも思ってしまう。


それでも、ファンとして実際に本人の前に立つ。
坂本真綾に期待するファンがこんなにも存在している事。
そして、どんな時であっても大好きな坂本真綾を支える事を喜びとする人々があなたの目の前にはいるのだと言う事。
それらを伝えるため、イベントに、ライブに、僕は足を運ぶのである。


坂本真綾のCDは録音が優秀である。
それを差し引いても、生の歌声の魅力の無さには一種の絶望すら感じる。
こんなに僕の心を動かすものが、いざ目の前に広がった途端、たちまち何の価値も無いものに変わってしまう。
(そもそも、録音の劣悪なものが多いアニメサントラCDにおいて、ビクターのCDには優秀録音が多い。
ただし、坂本真綾のCDの録音が優秀と言っても、世間の優秀録音と比較すれば並み程度でしか無い。)